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新宿区百人町4丁目の大けやき伐採をめぐる問題



◆資料 新宿区新聞記事
  (※地元も新聞ということもあり、東京都と私たちとの話し合いの最初のから取材をした新宿区新聞がその経緯を把握し的確に記事にしていると思います。
  転載の了解をいただきましたので掲載いたします)


2001年01月15日(月) 3面
2001年01月25日(木) 3面
2001年02月05日(月) 3面


 


■新宿区新聞 2001年1月15日(月) 3面

【巨木(樹齢200年)残せ!】

【住民が伐採に猛反対】

【東京都「住宅建設に邪魔」と伐採?】


 百人町4丁目にある、推定樹齢200年のケヤキの巨木が、伐採の危機にある。

 このケヤキは、都営住宅建替工事により伐採が予定されていたが周辺住民らが「地域のシンボルとして親しまれている木を残して欲しい」と都に要望し、伐採の一時中止が寸前に決まった。

 しかし、設計変更をしない限り存続させるのは不可能なため、移植というか
たちでの保存が検討されたが、樹木床による診断では移植すると2年しかも
たないという。

 地域の文化遺産として保存の道を探る住民の思いはいま、風前の灯し火だ。巨木が「遺跡発掘」と同様の扱いを受けられるのかが焦点だ。


 このケヤキの巨木は、建て替え工事中の百人町4丁日の都営住宅敷地内にある。全長およそ17m、周囲5mあり、樹齢二百年位と推定されている。

 敷地内に植えられている樹木のなかでもひときわ目立ち、地域のシンボル的な存在だった。

 敷地内には他にも桜やイチョウの庭木があったが、団地を建てるため約40本の樹木が伐採された。

 昨年11月に都と事業者が開催した工事説明会で、住民側は「けやきの伐採はない」と都から説明を受けていたという。

 しかし、住民の一人である植田麻美さん(高田馬場4丁目在住)はその後、現場を通りかかった12月16日、工事現場の責任者に話を聞くと「伐採する」という返事が返ってきた。

 驚いた植田さんは都知事宛てに伐採中止を求める要望書を提出し、都担当機関との対話を持つことになった。


▼移植可能か樹木医が診断

 昨年12月21日に開かれた住民と都住宅局東部住宅建設事務所との話し合いで住民側が要望した樹木医の診断は年明け6日に住民が見守る中で行われた。
 都が委託している樹木医のほかに住民側が呼んだボランティアの樹木医も同行した。

 診断の結果、都から委託された樹木医は「樹齢は推定2百年位。樹勢があリ、根も頑丈だが、移植した場合、2年もって、その後朽ちる可能性が大きいだろう」と判定した。

 樹木医によると、普通のけやきの根は横に広がる形で伸びるが、この巨木は下に伸び深部に入り込んでいるという。

 移植するには根を切らなくてはならないので、長くはもたない。住民側が呼んだ樹木医も同様の判断だった。

 田中悌二・都住宅局東部住宅事務所課長は「都としては一日でも早く住宅を造ることが責務。入居待ちの住民や予算を考えると伐採したい。仮に移植して樹が枯れたとき、撤去するのが大変。住宅地の中で大きな機械も入らずコストもかかる」と話した。


▼保存運動に反対意見も

 一万で、一日も早い建替工事の完了を望んでいる都営住宅の入居者たちは「問題を長引かせて入居が遅れることはやめてほしい」とけやき伐採の反対運動には批判的な意見も多い。

 百人町一帯の都営住宅は、昭和24年に入居が始まった。今回の建替え工事は建物の老朽化によるもの。

 建設予定地は昨年10月に着工、平成15年初期に358世帯の入居が予定されている。

 入居者は天半が高齢者。
 現在は取り壊される予定の旧都営住宅に住んでいる。
 風呂場もなく老朽化の激しい住居での生活を余儀なくされている。
 都は今回のけやきの伐採の一時中止で、すでに一ヶ月の遅れが出ていると説明している。

 都営住宅の入居者の老人は「生きているうちに入居を果たしたい」と話す一方で、巨木を伐採しないですむ道はないか思案気だ。

 伐採中止を求める運動発起人の植田さんは「都営住宅の住民から『あなたは住民ではないでしょう』と言われた。でも、あれだけ地域の人に親しまれ、歴史ある立派な木を簡単に伐ってしまっていいのか。この木は区内の市街地で一番大きい木だと聞いている。ごれは個人的な感傷、主観だと思われるだろうが、こうした一人一人の気持ちが大事なのではないか。入居者の生活はもちろん大事だが、何とか保存の道はないだろうか」と胸の裡を明かした。

(解説)

 巨水の保存は次世代への遺産で大事な事だ。この巨木は敷地所有者だけでなく、周辺住民の共有物でもあるという考え方が必要だ。

 今回の問題は、伐採しないですむ建築計画をなぜつくらなかったのか?に尽きよう。

 今後は事前調査の中に巨木があるのか否か、遺跡発掘と同様の項目を建築許可条件につけ加える必要があろう。

 それでも伐採が必要とあれば、周辺住民に事前に周知し、了解を得る手順が必要だ。

 今回の都の工事説明会では、「巨木を伐採する」説明はなく、住民は「保存されるもの」とふんでいた。

 建設が遅れるのは、単に都側の責任といえよう.


[写真] 伐採か、保存かが迫られているけやきの巨木。一日も早い入居を望む住民のために計画通り伐採するのか、地域の文化遺産を選ぶのかは難しい選択だ

[写真] 幹の中は空洞だが板根がしっかり張っており、今も成長を続けている。


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■新宿区新聞 2001年1月25日(木) 3面

【巨木伐採を一時中止】

【百人町】

【「移植」を新宿区が申し入れ】


 25日午前9時、百人町4丁日のケヤキの巨木が、土盛の半分を削った処で、伐採が中断された。
「樹齢200年の巨木を残せ!」との反対住民の要望を聞き入れた東京都住宅建設事務所の渡辺景之所長の英断で「2月2日までとりあえ伐採は中止」することとなった。

「敷地内移植」の返事は26日までにすること、2月2日までに他の樹木医の診断を求め再度話し合い、それまで伐採はしないことなどで両者が合意した。

 当日前夜までには、住民の要望を受けた議員や、新宿区の助役らからの働きかけが多数あり、区内全域の問題に発展した。

  ◇   ◇

 このケヤキは、推定樹齢2百年、高さ17m、幹回り2.7mの巨木で、昨年末から周辺住民の間で保存運動が高まっていた。

 都住宅局東部住宅建設事務所は、周辺住民と3回にわたる話し合いと移植のための樹木医による診断を行ったが、(1) 樹木医の診断で2年目以降は枯れてしまう可能性が高い (2)木の根が大きすぎ、運び出す重機がない。(3)移植先がない。(反対住民が提案した)22号練跡地には移植できない、などの理由から25日に伐採することを決めた(22日)。

 25日当日、伐採の準備が進められる中、反対派住民数名が渡辺建設事務所長に中止を求める申し入れをした。

 反対派住民は▼昨年の工事説明会では、あのけやきを伐採しないと説明を受けた▼2名だけの樹木医の診断では納得できない、もっと可能性を探るべきだ▼技術的に連び出すのが難しいと言っているが、こちらが依頼した造園業者はできると言っているーなどと主張し「都は日が経つと言っていることを変え、信用できない」と話した。

 これに対し都側は「説明会では違うけやきと認識して"伐挽しない"と言ったまでだ」と弁明、「移植費には約1500万かかる。生き延びるのであれば、移植する価値があるので予算はとる。2年しかもたないと分かっていて税金を使うことはできない」と答え、移植の再検討を約束した。


 ▼2年の命でも移植を

(解説)
「樹木医の判断で2年のいのち」だから「移植したいが無理だ」というのが都側の論理。

 これに対し「樹木医の診断をさらに第3者に検討させてこそ正しい判断だ」「2年の命でも移植する価値がある」というのが住民側の論理だ。

 とりあえず両者で再度の調査をしようと歩み寄ったのが「中止」の結論だ。

 移植費はいくらか?移植場所はないのか?樹木医の診断書などの都側のもつ情報を住民に公開してこそ、都側の論理の信頼性が生まれる。

 とにかく百人町だけの問題ではなく、新宿区全体の問題として、巨木を考えることになった。

 それにしてもボタンのかけちがいは巨木を無視して建築設計した都側にこそ責任がある。

 住宅建設の遅れは住民の責任ではない。


[写真] 盛土を半分削られて残ったケヤキの巨木



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■新宿区新聞 2001年2月5日(月) 3面

【闇に紛れ 巨木を伐採 東京都住宅局】

【樹齢200年のケヤキ(百人町)】

【移植を検討中なのに 反対住民は涙の抗議】

 伐採反対運動が起きていた百人町4丁目のケヤキの巨木が、1日午後7時、伐採のためなぎ倒された。翌朝、午前8時から業者がケヤキの枝をチェーンソーで切断、フェンス越しに住民らが涙ながらに見守っていた。これを執行した都住宅局東部建設事務所は、当初、伐採反対運動の周辺住民らとの話し合いで「2日までは伐採を待つ」と合意していた。しかし、巨木の伐採を"闇討ち"的に強行した。反対派住民は「都は話し合いのポーズを取りながら伐採を決めていた」と怒りを露わにした。

 東部建設事務所と反対派住民の「大けやきを守る会」はこれまでに4度の話合いを行ってきた。伐採執行が行われる予定だった25日、反対派住民が伐採を阻止し、一時中止となった。

 このときに東部建設事務所は樹木の診断結果が「移植した場合、2年後は枯れてしまう可能性が高い」という判定を挙げ、「枯れるなら移植の価値はない」(渡辺景之所長)と公言していた。

 一方守る会は「2人だけの樹木医の判断では納得いかない」と主張し、両者の間で (1)敷地内移植を再度検討し26日までに都が返事をする (2)2年以上生育するという別の樹木医の診断を2日までに揃え、再度話し合う。それまでは伐採を行わない、等の約束を取り交わしていた((1)に対し都は25日午後6時頃、敷地内移植はできないと回答)。

 「守る会」はこの合意を受け、(財)日本緑化センター技術部択長の掘大才氏に診断を依頼、29日に診断を行い「樹木の生理的側面、全体の状況から判断しても移植は十分可能」と判定、このレポートを1日午前11時に都住宅局へ提出した。

 ▼住民との約束を無視

 しかし、東部建設事務所は「樹木医の診断ではない」ことを理由に1日午後5時過ぎに伐採の準備を開始。午後7時には木を根元から掘り起こし、倒した。

 この直前の1日午後5時頃、東部建設事務所の渡辺所長は守る会の代表植田麻美さんの留守電に「樹木医の正式な診断書ではないので、参考にはしたが、当局の方針は変わらない」と伝言。春日武夫氏宅へは「堀氏のレポートは一個人の技術的レポートと解釈する。他に何かありませんか?」と連絡、電話に出た夫人に伝えただけで「伐採通知」はしていない。

 一方、新宿区緑公園課長へは17時30分頃「伐採の準備を始めた」旨を報告した。

 この頃、守る会は期限(2月2日)まであと一日という中で樹木医を探していた。
 さらに一人は「伐採反対」の1400人の署名を都住宅局に届けている。

 ▼都の居直った言い訳

 ケヤキの最期を看取ることができなかった住民らは「これはだまし討ちだ!」と憤慨、守る会約10名は2日午後3時より、都住宅局長へ抗議の申し入れをし、高木良明・住宅局建設部調整課長に怒りをぶつけた。

 (1)なぜ掘診断を認めないのか (2)なぜ期限前に執行したのか (3)なぜ執行通告しなかったのか、とつめよった。

 高木課長は(1)について「判断をするには資格のあるそれなりの方の見解が必要」と答えた。

 これに対し住民の春日氏は「掘さんは樹木医の認定をする立場なので樹木医にはなれない。樹木医制度を確立した第一人者だ、経験も能力も樹木医以上の方」「掘さんの診断がだめであれば、なぜ26日に堀さんが診断し、見解を述べてもらったときに言わなかったのか。またなぜ堀さんの診断を文書に求めたのか」とつめ寄った

(2)について高木課長は「樹木医の診断と診断書の提出は、残りの一日ではムリと判断した。約束違反の認識はない」と居直りとも思える回答をした。
(3)について高木課長は「詳しく聞いていない」と”逃げ”た。

 守る会は今後、監査請求を含め、都側の一連の対応を追求していくという。



●解説

【都民の財産を勝手に処分】

▼もともとこの紛争の発端は都の住宅設計ミスにある。50年前の建て替え時にも、江戸時代からのこの樹木だけは生かされて設計された。
 それがこのたびの設計で生かされなかったのはなぜか?
 "住宅戸数40戸が減る"というなら他の住宅用地で確保する計画を作ればいい、
 今の住宅が不便で困るというお年寄りがいるなら、優先して新居に入れてあげればいい。
 設計ミスをしたのだから都はそれ位の面倒をみるべきだろう。

▼移植しても「2年の命ならムダなカネ(移植費1400万円)と都は説明し、「5年もつなら移植する価値はがある」と渡辺所長は公言していた。
 それには樹木医の診断書が必要だといい、一週間、住民らは樹木医を
 捜しあぐねた。
 そして樹木医の権威に勝る技術者の診断書を都に提出したが都はそれを認めようとしなかったのはなぜか?
 その説明をするはずの「明日の話し合い」を待たずして突如、伐採を強行した。
 樹木医の診断を住民に捜させておいて、一方で住民を"ダマシ討ち"にしたと言えないか。

 ▼約束を守らない都政、"非"を認めない都政、伐採後、頭を下げに出てくるのは紛争調整課長で、現場の直接の下手人ではない。まさにタテワリ行政の弊害だ。
 「誰が手を下したか?」「局全体です」
 「どういう手順で下したか?」「住民の要望、署名はどう内部で扱われたか?」の問いに都側は答えていない。

▼この樹齢200年のケヤキは"都民の財産"で団地住民や都住宅局の独占物ではない。
 その処置を都民と話し合う約束をしておきながら、約束日の前日に、予告なしに都住宅局は勝手に伐採した。
 現場責任者、住宅局長への損害請求、監査請求が求められよう。

▼ぜんじつめればこの問題、風呂に入れないお年寄りたちへの「便利さ」が樹齢200年の「命」に優先されたということだ。住宅「開発」が地球「環境」を破壊したともいえる。この「便利さ」を2〜3ヶ月先延ばししてでも「とり返しのつかない命」を救うことはできなかったったか?

▼ 「木にごめんね、と言いたい。200年生きてきたのに私たちの代でこんなことになってしまった。自分が何かを犠牲にしても後世に残していかないといけないのに」(都営住宅在住40代女性)の言葉が残った。



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