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☆会報『大けやき』Vol.2 (2001年10月1日発行)






【平成13年(行ウ)第103号損害賠償代位請求事件】 =報告・第二回口頭弁論=

被告に再度証拠資料の提出指示  

 9月17日、大けやきを巡る2回目の口頭弁論が開かれました。一回目が7月30日次回は10月29日ですから、1月半くらいに一度のペースで口頭弁論が開かれるということになるのでしょう。それにしても同じ裁判官担当の事件が同じ時間に6件ほどまとめて行われることになっていたのには驚きました。行政がらみの訴訟が増加しているということなのでしょうか。
 さて裁判は今回から、裁判官の職権で東京都知事が強制参加させられることになり、個人としての被告石原慎太郎・戸井昌蔵の代理人と、機関としての都知事の代理人が被告席に、春日・石岡が原告を代表する選定当事者として原告席に座りました。都知事の参加は「行政庁の訴訟参加は、証拠資料等を豊富にすることにより適正な審理裁判を実現することを目的にする」らしいのですが、これが今後、原告にどんな意味を持つのかよくわかりません。でも、何に対しても知事の仕事をいい加減にしてはいけないといっているようで悪い気はしていません。
 一回目の口頭弁論で裁判長は、被告に財務会計上の権限の一覧のようなものと、住宅を建て替えるに当たりなぜ大けやきを伐採しなければならなかったかをできるだけ具体的に述べるよう指示をしました。それを受け提出された被告準備書面(1)を、答弁書と併せて整理してみたいと思います。
 争点は大きく二つあります。まず住民訴訟は違法な財務会計上の行為であることが立証されなければなりません。被告は、それを契約締結と支払い権限というどちらかというと手続き上の行為に限定し、しかもそれが内部規則により金額などに応じてそれぞれ受任者が違っていると主張し、それらの権限を有しない住宅局長であった戸井は当該職員として不適格だから訴えを却下せよと主張しています。
 私たちにしてみれば、住宅局長は、都営住宅建設の決定権者であり、ましてや約束を無視して伐採を強行したのは住宅局全体での決定と都側は説明したのですから、その責任を免れるものではないと思われます。しかも長としての指揮監督責任もあり、公金支出の原因となった行為の違法性をも問うことができるとした判例もあるようですから争っていきたいと思います。
 建て替えるに当たってなぜ大けやきを伐採しなければならなかったのか、裁判長からの指示にも関わらず、準備書面における主張も答弁書とほとんど変わっていません。裁判長が再度、文書や図面なども使って具体的にしてくださいとの指示したのは当然です。「本件大ケヤキはB棟予定地に所在していたものである」と本末転倒というか、設計をする際に土地の条件をいっさい配慮していなかったと自ら暴露するようなことを堂々と主張してしています。保存を考慮したといいながら、どう考慮しなぜ伐採に至ったかは書かれていません。また樹木医の診断の結果共存は無理と判断したとか、戸数を減らさざるを得ないからとかを理由としてますが、それは私たちが保存をお願いして後の話しであるはずなのに、ご自分たちが関わってきた経緯さえも整理されていないずさんさです。そも「東京における自然の保護と回復に関する条例」などに全く配慮していないのだから説明しようがないのでしょう。(春日武夫「大けやきの会」代表)


《大けやき回想エッセィ》
家族と過ごした戸山の思い出
                  内山 ゑみ子

 百人町4丁目の戸山アパートに入居したのは、昭和24年11月。主人と2歳の長男と3人家族でした。
 戦後すぐに建った文化住宅ですから、入居したころはラジオ局や新聞社が取材にきて大変でした。水洗便所も当時としては珍しいものでした。台所にはダストシュートもついていましたが、ゴキブリが出て困りましたので、暖房用の炭の俵でいぶして退治したものです。水は井戸水でしたから洗濯機がなくても、冬でもさほどつらいとも感じませんでした。反対に夏は冷たくおいしい水が飲めました。
 樹木はあの大けやきがポツンと一本だけ立っており、根の回りは土が盛ってあるだけで、息子たちがよじ登って遊んでおりました。建物と建物の間に広々としていて、日曜日になると大勢の子供たちでおもちゃ箱をひっくりかえしたようなにぎやかさでした。ちょっとした運動会なども開かれ、長男も三輪車で参加したのを覚えております。その後都から苗木の支援を受けたりして、皆で植物を増やしてだんだん緑豊かな団地になっていったのです。麦わら帽子で朝から夕方までせっせと耕している植木屋さんのような方がお住まいでしたので、伺いましたら、なんと早稲田の先生でした。
 私は四谷3丁目で生まれ、小学校に入学したのは昭和4年でした。2年生か3年生の時に歩いて戸山が原まで遠足にきたことが忘れられません。なにかこの土地に縁があるのでしょうか、百人町診療所の前には「明治天皇行幸の碑」があり、いろいろと歴史のある土地のようです。
 交番の横の桜並木もすっかり伐られ、大けやきも残らないと聞いて二人の息子に電話をしましたところ、戸山に移ってから生まれた次男は涙ながらに「なんで伐ってしまうんだろう、残してくれればいいのに」と、長男は「僕が帰っても寂しくなるなあ、僕たちのふるさとはなくなってしまうねえ」と残念がっておりました。
 亡くなった主人も二階の窓を開けては、「どこかわざわざ遠くまで旅しなくても緑を年中見ていられる、なんて幸せなことだろう」といつも私に申しておりました。もののない時代に、生き生きと家族4人暮らしてこれたのも、大けやきや緑豊かな木々に囲まれていたからかもしれません。

天祖神社のけやき

【巨樹のある風景】第二回
天祖神社のけやき 〔高田馬場4丁目〕

 戸山団地33号棟裏、セブンイレブンとガソリンスタンドの間を入ってすぐ。小さなお社前に幹回り3,3m。昭和25年頃戸山団地と道路の建設のため現高田馬場4丁目交番近辺にあった神社が移築、ご神木の大けやきも一緒に移植されました。今春、樹医の診断で、中に空洞ができ弱っていると治療を受け、今は痛々しく包帯を巻いています。「樹齢400年と樹医さんに伺いました。なんとか元気になってほしいものです」と、神社をお守りする中村家の皆さんでした。


《人と木の物語に出会う》 この一冊(2)
『欅の木』 
   井上靖小説全集30「夜の声・欅の木」所収 新潮社(1974年刊)

 作者の化身のような主人公が、武蔵野を象徴する欅の木を一本でも伐ってはならぬとコラムに書いたことから世間に波紋を広がり、ついに庶民たちの力で「欅を守る会」が結成される。開発で都市の緑が次々と消えていく時代の作品ですが、今でも考えさせられるテーマです。(春日秀子)


♂東京いきもの図鑑♀ 
第二回 ケムシ(2) 文・イラスト 横関拓也

 アメリカシロヒトリをご存知ですか? そのおもしろい響きの名にまずインパクトがあり、名前の通り出身はアメリカで、輸入木にくっついて日本に入りました。白くて細身のケムシで、けっこう俊敏。成虫はプレーンな白い蛾みたいですね。なぜこの特徴の無さそうなケムシを取り上げたかって? アメちゃんはおもしろい特徴を持っているから。壁に登るのです。彼らはサナギになるとき高いところにマユをつくる性質があり、なかなかチャレンジャーなので民家の壁によじ登ってくるのです。二階屋だと二階の屋根まで上がっていきます。それも一斉にそれーって感じで何百匹もきます。
 我が家の壁にも毎年登っていきました。それを迎撃するために長い竹の棒を用意し、壁をよじ登るアメちゃんをビシビシたたき落としたものです。夏の終わりがくーると思い出す、アメちゃん落とし楽しいな。




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