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☆会報「大けやき」Vol.4  (2001/01/21日発行)



再び都は伐採理由明瞭にできず 
問われる都の自然保護行政のあり方 報告・第四回口頭弁論

  
 新年おめでとうございます。今年は判決が出るでしょう、良き年となりますように。
 私たちが思いがけずに大けやきとつきあい始めて1年をやや回りました。昨年2月1日、あの闇夜の伐採は、あまりにも一方的な仕打ちではないかと、住民監査請求を経て住民訴訟に訴えたのが5月1日でした。その裁判の4回目の弁論が12月10日に行われました。
 素人が裁判に関わって今感じるのは、裁判というのはなんともまどろっこしいものだということです。当面の間、準備書面という文書でのやりとりをしているわけですが、被告の主張を「そこは事実と違う」「明らかにこちらの主張を無視した一方的な言い分だ」と思っても、相手は、都合の悪ければ避けて通り、あいまいにしようとし、なかなか四つに組めないのです。面と向かって直接真偽を質すことができません。裁判ですから、自分に不利になるようなことをいうわけはないし、そんなやりとりを裁判長がどう判断するかということになるのでしょうが。
 さらにいえば、被告側は公務員であるのになあと改めて思います。なぜ市民と胸襟を開いて話ができないのか、まちがった判断も、思い及ばないことがあるのも認めないわけでないのに、ないこと、考えもしなかったことをこうも言い張るのか、体裁を繕うことばかりするのか。住民は素人、この程度のことをいっておけば何とかなるだろうとでも思ってるのか。相変わらず、経過も主語もあいまいのままにして論を展開しています。大けやきの腐朽が進行し倒木の危険性があるから伐採したのだと繰り返し述べてます。その判断は樹木医なのか住宅局の人間なのか、はたまた後でとってつけたのか、整理しないまま論を展開しています。建物配置もまた、いくらでも代替案はあったはずなのに、戸数や日影を考慮しこれ一つしかないといい続けています。
 今回の口頭弁論では、丙準備書面というものが提出されました。原告が甲で被告が乙、それ以外に丙があるとは知りませんでした。裁判長から強制参加を求められた東京都知事の代理人からのもので、相手が多くなった感じです。でも、主張の出所は一緒なのでしょうが。証拠文書も丙1〜12号証と出されましたが、都営住宅の建替えが必要だというためのものが多く、問題となりそうなのは「緑化計画書」「都緑化指導指針」くらいでしょうか。条例に基づき、指導指針に則った「緑化計画書」を新宿区に提出、認知されたので手続き上も問題はないのだということでした。裁判長の原告への指示は、そのことをどう考えるか、新宿区の保護の実態に即して次回陳べよということになりました。
 「都自然保護条例」は、保護と回復との両面あるわけで、「緑化」はその回復という半面でしかなありません。しかも書面上緑被率さえクリアしていれば、それを通してしまう新宿区の手続きに問題があります(伐採後現場写真の提出義務などが加えられました)。もう一面の保護からみると、「新宿区みどりの条例」における保護樹木の制度が、区は公有地を除外しているものではないとしながら、そこにある樹木の指定を怠ってきていますので、条例の趣旨が生かされてないことになるでしょう。条例の読み方と、自然保護に行政がどう対応してきたかが争点となります。
 地球温暖化を始め環境問題が緊急課題となっている今、自然とどうつきあうべきか、この機会に私たちの身近なところから考え、主張していければと思います。


けやきのエッセイ
一期一会   植田麻実

 早稲田通り沿いの末広電気店は、ひとえに店主の趣味でレンタルビデオ店も兼ねていた。その性質上、深夜二時まで開いていて、私は、東京でもっとも営業時間が遅い電気店と称していた。
 「末広のおじさん」は、集めたビデオをかたっぱしから観ていて、「お薦めシール」が貼ってあるものがいくつもあった。その一つが「ブルックリン横町」だった。
 1945年のアメリカ映画、監督は『エデンの東』『欲望という名の電車』などを撮ったエリア・カザンで舞台は20世紀初頭、ブルックリン(ニューヨーク・マンハッタン島のすぐ東側)のスラムで暮らすノーラン一家が、必至で生きていく姿を、暖かいタッチで描いている。お父さん(ジェームズ・ダン)は、売れないピアノ弾き。生活は苦しく酒におぼれがちの日々だが、家族をとても愛し大切にしている。父親思いの少女フランシーは、わんぱくな弟と、古いパンを安く調達したりして、たくましく生活している。
 私がすごく好きなのは、クリスマスツリーが買えないのがよくわかっている姉弟が、イブの夜、路上のツリー売りおじさんの傍らで夜中まで待って、賭けをするシーンである。売れ残りの中から、姉弟は、「この木が欲しい!」と一番大きい木を指す。おじさんが彼らに向かって投げて、それを落とさずちゃんと受け止められれば、その木はただで彼らのものとなる。やじうまがはやす中、この姉弟、みごとクリスマスツリーをしとめる。そしてその木を、二人して誇らしげに持って帰ると、アパートの住人たちは、その大きさに目をみはる。
 姉弟が古ぼけたアパートの窓の下に、小さな木が育っているのを見つけて目を輝かすシーンも素敵だ。豊かな緑など期待できない殺伐としたスラムで、誰に手をかけられずとも、その木は、まるで、姉弟のように、たくましく太陽に向かって、コンクリートの隙間から背を伸ばしている。
 そういえば、この映画の原作の小説、現代は、A Tree Groows in Brooklyn, 直訳すると、「ブルックリンで育つ木」。女流作家ベティ・スミスの自伝的小説で、邦訳は57年に秋元書房からでている。
 「大けやきの会」の牛山リコさんは、子供の頃、「大ケヤキのように、まっすぐな人間になりなさい」と育てられたそうだ。どちらにも、身近に生きる一本の木と人との自然な関わりがみてとれる。
 ある時、私が何度もこの「ブルックリン横町」を借りに行くので、「末広のおじさん」がダビングしてあげようか、と言ってくれた。その時私は、見たくなったら借りに来ますから、と遠慮した。でも「末広のおじさん」は、その後急逝され、お店も今はない。
 一期一会の出会いは、人と木にも言えるかもしれない。生きているはずの大ケヤキは今はなく、私たちの心の中にだけその姿を留めている。


東京いきもの図鑑
第4回 ケムシ4   横関 拓也
 ケムシの話ばかり連載してきましたが、そろそろケムシ最終話にしましょう。今日は激痛系のケムシの話。
 イラガのケムシをこ存知でしょうか? サボテンみたいな感じで毛というかトゲみたいなのがまばらに生えているのですが、これに刺されると痛いのなんのって。ハチに刺されたような感覚です。私は刺されたの一度ですが、それ以来イラガとみたらその痛さの憎しみから即刻処刑していました。
 人間にとっては痛すぎるケムシというのは、憎悪の対象になるので逆効栗ではないだろうか?
 もう一種思い出深い激痛系のケムシとしてチャドクガのケムシがいます。私の実家のあたりは一応茶所(狭山茶)だったのでやたら茶の木が植えてあったのですが、ここに見るからに危なそうな真っ黒な剛毛のケムシがいるのです。またその成虫はリンフンにも毒があるという怖い蛾なのです。茶畑にボールが入った場合はジャンケンで負けた人が取りに行<ことになります。


本の紹介
『ひのきとひなげし』  宮沢賢治全集第12巻(筑摩書房)
 愛らしいひなげしたちが、美しくなってスターになりたいと思い、スターになったら死んでも良いと思いつめます。そこへフロックコートを着た小さな蛙に化けた悪魔が現れ、阿片を代償にけしの命を奪おうとしますが、ひのきの一声で救われます。真っ赤なけしと若いひのき、空の星(スター)の絶妙な取り合わせ、宮沢賢治ならではの魅力ある一編です。


巨樹のある風景
『薬王院のけやき』 (新宿区下落合4丁目)
 瑠璃山薬王院医王寺(通称東長谷寺)は、薬師如来を本尊として鎌倉時代に開かれた寺です。その山門の左手に伸びやかにそびえ立つ幹回りほぼ3.12mのけやきがあります。
境内には各種のぼたんが栽培されていて「ぼたん寺」とも呼ばれ、4月末から5月初旬にかけて見物客でにぎわいます。しだれ桜、すだじい、いちょう等立体的に構成された4700Gの寺内全域が「新宿区みどりの文化財」に指定されています。




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