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☆会報「大けやき」Vol.6  (2001/04/30発行)



都の主張に依然進展見られず 報告・第6回口頭弁論

 「大けやきの会」は1周年を迎え、裁判もまた昨年5月2日に訴状を出してからまもなく1年です。その間4月9日で6回目の弁論を数えました。
 被告からは、準備書面_が提出されましたが、言うべきことを出し尽くしたのか、というよりもやるべきことをやっていなかったからでしょうか、目新しい主張は出てきていません。前回私たちは、原告準備書面`でこれまでの問題を整理し大いなる疑問を被告に投げかけましたが、それに対してもなんら具体的な言及がありません。相変わらず事実経過を無視し、都合のよい部分だけを切り張りしながら書面を整えている感じです。
 住宅局長には、財務会計上の権限がないから、被告戸井への訴えは不適格であると、新しい視点も証明もないまま昨年9月17日の被告準備書面^と同じ主張を繰り返しています。また、住宅建替え工事は、「自然保護条例に規定された都知事の基本的責務などに合致した内容で計画立案され、決定されたものであって、同条例に違背する点はまったくない」としながら、事実に即した内容は全く示されることなく、言葉だけが空疎に響きます。
 唯一、都と新宿区と交わした文書を証拠として提出してきました。それも平成11年に大けやきの姿はどこにもない基本設計図が新宿区に提出され、それをもって両者で協議した結果、大けやきをの保存・移植は検討対象とされなかった、そのことの証明なのだそうです。だから、大けやきの伐採は同条例に違背しないとされても、承伏できるわけがありません。後で、助役やみどり公園課長がコメントしているように、新宿区は、図にない大けやきを認識しないまま機械的に手続きを進めただけだったのです。本来どう検討したかと証明すべきなのですから、逆になにも検討しなかったと証明しているようなものです。私たちは、なによりも基本設計を作成する前の段階で自然保護条例に則って検討すべきであったとしているのです。
 残念なのは、自然保護条例に合致した内容で計画立案したというけれど、被告には、人間生活の中での自然の大切さを考え、どう対処すべきかという哲学がないことです。一度として、語られることはありません。建物という箱を造るだけでなく、人間が健康で豊かな気持ちで生活できる環境とは何かを同時に考えてほしい、それが今求められている街づくりであり、行政が基本的スタンスとすべきことではないでしょうか。
 さらに、伐採の必要性についての住民説明会も実施したとしています。しかし住民の多くは直前まで大けやきは残されるものと思っていました。また、どんな建物が建つのかはだれもが知りませんでした。だから、工事直前の説明会で「大けやきは残るのでしょうね」と念を押したのだし(都は残ると説明)、1DKという間取りを知って驚き、昨年2月住民は、都に対し急遽説明会を求め、その後陳情までしたのです。都は、計画段階で住民とじっくり話し合おうという姿勢はみせなかったし、説明責任も全く果たしていません。
 都は、残された建替え予定を急いでるとか、今回のことをどう考えて進めるのでしょう。裁判とともに、都市における自然と人間生活を見直し、重ねて行政の姿勢を問い直していきたいと思います。


【公判応援エッセイ】
緑の黒髪はみどり色?    石岡春二

 物心ついてからずっと抱いている疑問の一つに「飯は茶碗で、茶は湯飲みで」の生活習慣がある。どうして「茶は茶碗で飲む」のではないのだろう。以前、新聞を読んでいたら「やっと金色の金魚の開発に成功」という記事を発見し、そういえば金魚=赤と連想していた自分に、今更ながらに驚いてしまった。
 日常的に使っている紋切り型の言い回しには、ちょっと考えてみると納得のいかない表現が少なからずあるものだ。とくに色に関する限り、似た例は夥しい。
 日本語では色の呼び方は豊富にある。だがどういう色を何色と表現するのか個人や分野それぞれの想いで、主観的に使っている感は否めない。「みどり」といえば、まず緑茶の「みどり」が切り離せない。常緑樹の松の新梢は園芸上、ズバリ「みどり」、漆芸の世界の「みどり」は「新橋」と呼ぶ。御存知、歌手の五月みどりと小松みどりは、姉妹して「みどり」を名乗っている。日本人はよほど「みどり」が好きなのだろう。
 「大けやきの伐採」の事件を省みたとき、「みどりの行政」の本質を忘れてはいけないとつくづく思うのである。よく行政側の言うところの「みどり」=「緑被率」の捉えかたでは、要は「みどり」色に被われていれば良いということで、古木や巨木が低木に代わっても良いのかどうかの疑念が湧いてくる。「新宿区みどりの条例」が目指しているのは、自然を大切にし、樹木を保護し、区民が平穏な気持ちで都市生活を送るためには「みどり」を欠かせないものとして、「みどり」の保護と育成に努めなければならないという明確な意志であろう。
 昨今の「屋上緑化」や「若木の植栽」は、都市の「みどり」を補う施策に過ぎず、同時に現存する樹木の保護をも図った施策でなければ、手抜きの「みどり」となる。そういう玉虫色の「みどり」では人間生活にとって、大きな存在意義は持つまい。新宿区の「みどり行政」は、語根の「瑞々し」く、「緑の黒髪」から連想する「生生としてつやのある」ものであって欲しいと願う。


【巨樹のある風景】
信濃町慶応病院内のけやき
 病院の裏手に回ると新緑が映える大きなけやきがあった。幹回り2.5mの新宿区保護樹木と、少し離れて、なぜか保護樹木でない区内で二番目という幹回り3.5m余、樹高もあって枝を大きく広げたみごとなものとである。樹の下に自動販売機とベンチが置かれ憩いの場となっている。道を挟んだ医学部の敷地にはヒマラヤスギ、イチョウなどの保護樹木も多く、春が充満していた。


【人と木の物語に出会う】
『百けん随筆II』より『巨松の炎』  内田百けん著 (講談社文芸文庫 池内紀編)  ※けんは門構えに月

 人は誰しも辛いことや、大変な思いをすると何年たっても忘れられないもの。東京空襲で家を焼かれ、妻と共に背に荷を背負い、片手に鳥かご、片手に酒が一合余り残った一升瓶。一晩を明かした土手に四斗樽の三、四倍もある大きな松の木があり、何日もかかってくすぶりゆっくりと燃え上がります。二十年たっても薄赤い炎の色が目の底に残っていると書いています。


【東京いきもの図鑑】
クモ2   文・イラスト 横関拓也

 シリーズ第二弾はハエトリグモ。その名のごとく彼はハエをとります。悪者のハエをとるなんてそれだけで偉いでしょ。彼は普通のクモと違って巣をはりません。走り回ってジャンプして獲物を捕らえる、実にアクティブなヤツなのです。巣をはるかわりに糸は命綱として使っています。だからあんなに大胆にジャンプができるのでしょうね。そういえば、この夏にアメコミのスパイダーマンが劇場映画として公開されますがあのイメージです。色は赤くないけど。ちなみに私はこの映画に密かに期待しています。今年はクモが流行る年なんですよ、きっと。ところで、ハエトリグモってグッドルッキングだと私は思います。たくましい足。ふさふさの体毛。クリッとした愛らしい目。実にかわいいです。ぬいぐるみにしてもけっこうイケテルと思うのですが、だめかな…。




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