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☆会報「大けやき」Vol.7  (2001/07/15発行)



次回最終弁論へ。判決に期待感  報告・第7回口頭弁論

 被告側が、11月末の工事終了後にしか伐採費用が確定しないとしていたため、裁判は今年中に終わらないなと思っていましたが、6月4日の口頭弁論において裁判長は、次回7月16日での被告の反論を待って口頭弁論を最後にするとほのめかしました。確定しないという伐採費用については、別途考えるとしています。
 今回は、原告の私たちが準備書面aを用意しました。主な内容は、原告準備書面`の中での「新宿区は、伐採直前に敷地内移植を都に要請し、都が守ってくれると思っていたとしている」と主張した部分を、具体的に述べなさいという指示に従ったものです。被告は「本件けやきの伐採を予め示した上で、新宿区から意見を聴取し、建設を進めた」としていますが、区は大けやきの存在を十分認識していなかったと新聞、区議会などで弁明しています。都は、区にいつどのように伐採の件を具体的に示したのでしょうか。大けやきが既に消された基本設計図を提出してはいますが、それ以前や、他にどう示したかの証拠が出されていません。緑化計画書が認定されたのだからとしていますが、区では手続き上既存樹木等のチェック項目をもっていなかったと認めているのです。さらにいえば、緑化計画書には既存の高木は64本しかなかったと記されていますが、これもかなりいい加減な調査結果です。住んでいた者にいわせれば、その何倍もあったというのが感じです。樹種も数種類しかないということは全くありえません。しかも植裁するという60本の高木ををみると、ツバキが44本も占めています。百人町ジャングルといわれた面影は、これっぽっちも残りません。新しくするというと、どうしてこうも没個性になってしまうのでしょうか。
 そもそも都側は我々から指摘されるまでは、大けやきの存在など眼中になかったのでしょう。ただ計画当初の「調査報告書」では、大けやきや桜並木等を特記し、緑の保存を提言していたのです。ところが石原都政となってからでしょうか、都営住宅の考え方が大きく変わり、それまでの基本計画が無視され、そこに生活する人々への配慮のかけらもない無味乾燥な箱づくりと思える設計へと転換していったようです。大けやきなど問題外と思っていたところに、問題となって初めてあわてて、そこで住民と話し合ったという既成事実をつくっておきたかったために私たちとの話し合いに臨んだだけです。結局、話し合いといっても計画をいっさい変更しないという役人一流の計算をしつつ進めたにすぎないはずです。
 判決は弁論終結後2ヶ月以内と決められているそうです。どんな判決になるのかはもちろんわかりませんが、弁論を重ねてきて、これで全面敗訴するわけがないと思っています。誰がどうみても約束1日前の伐採については、被告の主張を納得する者はいないでしょう。また、私たちが驚くような言い分も文書も全く出てきていません。最後となるだろう次回もこれまでを覆すような主張は出てこないでしょう。結局自然の保護などは、何も配慮されなかったのだから当然といえば当然でしょう。素人の私たちに一番わかりにくかった財務会計上の責任という部分がどうなるのか予測しがたい点もあります。しかし、裁判長は最初から“なぜ伐採しなければならなかったか”を一貫して問いただしていることから、判決は、大けやき伐採の正当性がまず問われることになるものと期待しています。(春日武夫・大けやきの会代表)


大けやきのエッセイ
大きな木の下の小さな家   安井恵子

 あの大けやきに雷が落ちたときは、本当にびっくりしました。ドーンと響くような音がしたので出てみると、てっぺんの方の枝が折れ曲がり垂れ下がっておりました。まもなく役所の方から植木屋さんがきて、折れた枝を払ってくださいましたが、地面におかれた枝が、以外と太く大きかったのを覚えております。それまではスックと空に向かって伸びていた姿が、この時からなんだか元気のない子どものようになりました。それでも手入れが行き届き大切にされておりました。
 私どもが渋谷から越してきたのは、東京オリンピックの翌年、昭和四十年だったと記憶しております。小学一年だった一人息子が当事、優秀校といわれていた西戸山小学校に入学できて喜びもひとしおでした。
 入居したのは、あの大けやきの真下の十三号館の二階、まさに「大きな木の下の小さな家」だったわけですが、当時は買いたくても家具などあまり売ってはおらず、部屋の中はがらんとしていて2Kでも広く見えたものです。
 近くには「杉山」さんという駄菓子屋さんもあり、そこで凧を買ってきて揚げたり、木によじ登ったり、暗くなるまで子どもたちの遊ぶ声がこだましておりました。
 けやきの根の周りは、既に大谷石で囲われて、植木鉢に入ったように見えました。夏は、北の窓を開け放してお昼寝をしていると、よく茂ったけやきの葉が揺れるのが見えて、森の中に寝ているようでした。セミが飛び込んできたりして子どもとあ部屋中を追いかけたりしたものです。秋は落ち葉が大きなゴミ袋が常に十杯くらい出て困りましたが、肥料にするからともらいにきてくれる人がいてとても助かりました。でも、「こんな都会で落ち葉を踏み分けて歩くなんて」と友達には羨ましがられました。緑あざやかなけやきも良いのですが、すっかり葉を落とした冬の姿が、私は特に好きでした。
 平成十年に新築の二号館に入居しました。その後「けやきは残すんでしょう?」と息子に聞かれても「当然でしょう、もちろんよ」と答えておりました。ところが、アレヨアレヨという間に伐られてしまい残念でなりません。
 完成間近の四丁目地域をみると、あんなに広いスペースがあるのに、残して欲しかったとあらためて思います。思い出の場所に、もうあの木はありません。


【巨樹のある風景】第7回
新宿御苑の大けやき
 
 多くの樹木、芝の広い庭園のある都会のオアシス新宿御苑の、大木戸口から入った西洋庭園の際に、幹に包帯をされた幹回り5.5m、樹齢400年の新宿一の大けやきがある。幹の途中で切断され高さはないが、新しく伸びた多くの枝はしっかり葉を付けて茂り、どっしりとした趣で貫禄がある。近くには周囲3.8mほどの大けやき2本もある。


人と木の物語に出会う この一冊
『木々を渡る風』  小塩 節著(新潮文庫)
 
 ゲーテ学者の著者は、ドイツを始めヨーロッパ各地を旅するようになり、改めて少年時代育った信州の山の木々に思いを馳せます。木々との共生などといっては傲慢なのではないかと自省します。かけがえのない木々への愛着がひしひしと伝わってきます。心の中をさわやかな風が吹き抜けていくような表題そのものの一冊です。(春日秀子)


【東京いきもの図鑑 第7回】
  クモ3  横関 拓也

 思った以上にスパイダーマンはヒットしましたね。なかなか面白かったよ。クモの第3弾ははジグモ。ジグモのジは地面のジ、地中に潜っているクモです。家の裏の湿った壁際などによく袋のようなものが張り付いていますが、これがジグモの巣。他のクモの巣のように粘っていません。泥やほこりがついて保護色状態になっていて、ここに虫が近づいて振動を与えると、それを察知して袋の内側から、ガブっとかみつくわけです。コ・ワ・イですね〜
 クモ釣りという遊びがあります。ジグモの巣をズルズルッと地中から引っ張り出すのです。大きいクモほど地中深く潜ってるので釣るのが難しいのです。人をかむことはありませんので安心して釣ってください。大物を釣ったときの喜びは魚釣りに匹敵します。魚のように食べられないのが残念ですが。




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