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大けやきが伐採された戸山団地のその後
=団地間の区道を緑道にと提案をする=

【大けやきのない、その後の戸山団地】


 戦後まもなく建設が始まり、当時最先端をいく文化住宅であった都営戸山団地も建て替えが進んで、来年春頃には全て姿を消してしまいます。
 戸山団地にあったあの大けやきが伐採されてから、すでに3年4ヶ月が経ちました。跡地には高層の住宅が完成し、昨年4月から生活が始まっています。新しい住宅は、きわめて殺風景で、悪くいえば箱を積み重ねただけの13階、11階建ての横にも広い巨大な建物で、周囲を威圧してる感じがします。その中庭は、どのような人たちにどのように使ってもらいたいと考えて造ったのだろうかと聞いてみたくなるような、ただののっぺらぼうとなっています。都営住宅だから?都の財政が厳しいから?人が住み続ける場としてこれでいいのかなという気がしてなりません。(新住宅風景及び中庭写真参照)
 
 伐採された大けやきの一部が、姿を変えて椅子とテーブルとなって団地中庭に置かれています。その周囲には日除けとなるような樹もなく、ただだだっ広い中にぽつんと置かれただけで座って休んでる人影は滅多に見られません。モニュメントとして残しますといったから、とりあえず置きましたというで、心が伝わりません。そんな椅子とテーブルをみて、あの大けやきを思い出す人はまれでしょう。樹木医の有田氏は、生存が不可能であれば「語り部」として別の形で残すのも意味があると、移植の是非をめぐっての大けやき診断時に話してましたが、伐採されてしまえば、案の定たちまちのうちに風化が始まってしまうのです。(椅子、テーブル写真参照)
 
 古く風呂がないなど不便なことはあっても、百人町ジャングルとまでいわれたあの緑多いあたたかみのある戸山団地の居住環境は、風前の灯火となりました。少し救われたのは、大けやきの会の運動の結果、現在建て替え中の地区以後からは、既存の樹木をできるだけ残すようにはなったことです。それでも一抹の寂しさは隠せません。


【戸山団地内の区道を緑道に!】

 大けやき跡地の新住宅東側と、現在建設中の地区との間に取り残された形の区道がありますが、昨年12月5日私たちは、車両通行ができない“歩行者専用の緑道ないし公園”にしませんかと、新宿区道とみどりの課計画係に電話で申し入れをしました(大けやきの会の皆さんとも諮りながら、形の上では春日個人名での提案にしました)。
 基はといえば、平成5年に出された戸山団地建て替えのための基本計画までは、団地敷地内に組み込まれるはずでしたが、なんら説明のない突然の都住宅局の建て替え計画変更のため取り残されることになった道路です。当時も今もごくわずかの通過車両があるだけで、タクシーなどのお休み所となっています。だとすれば、失われた緑の回復の一部にでもなれば、威圧的な建物を少しでも和らげることができるかもしれないし、住人の多くを占める高齢者が安心して憩える場所にもなるだろうし、また、居住者のコミュニティを図るためにも活用できるかもしれないと考えたからです。“部屋から外に出てみたくなる街に”になればいいねと。(現在の区道写真参照)
 

・新宿区担当者の対応

 計画係担当者は、私たちの提案に対し、初め提案は電話で構いませんのでたしかにお聴きしましたし、配慮しますとのことでした。文書で提出しなくてもいいのかなと私には不安が残りました。担当者は、区道整備計画を進めるために、現在都住宅局、警視庁などの関係機関、近隣町内会長、団地自治会会長に相談をしているというので、それだけでなく住民が誰でも参加できる話し合いの場をつくらないのかと尋ねましたが、そのつもりはないという答えでした。
 町内会というと、未だ一部の人たちが決定権を握っていてあまり開かれたという感じがしません。どちらかというと住民の声を阻んでしまう行政の御用団体ではというイメージがあります。区長が「住民との協働を推進」というのなら、まず行政と町内会長の癒着を抜け出して欲しいと思うのですが、どうでしょう。
 
 担当者とはその後2度ほど電話で話をしましたが、特段の進展ありませんでした。それよりなにより私たちの提案に対して、住民の声を無視するわけにいかないのでとりあえず聞き置いたけれども、かなり迷惑に思っているだろうことが察しられました。提案は電話でよいというのも、その内容を確認しようとしないことをみても、もともとまともに検討するつもりはないので、なるべく明確な形が残らないようにという思惑もあったのではと思えてきました。自分たちがつくった素案を大きく変えるつもりは毛頭なく、住民の声を聴いて決めましたというアリバイづくりために、町内会長にお墨付きを求めて乗り切ろうとしているのだと思わずにいられません。
 何度聞いても結局は、車利用者がいる限り廃道にすることはできない、意見交換のための住民集会もやるつもりはないという返事が返ってくるだけでした。

 2月26日、やはり文書にしなければと、区担当者に「都営百人町4丁目団地間区道整備にあたっての提案」を送付。なお都営戸山団地は、建て替えられた新しい建物の正式名称が、都営百人町3丁目アパート及び都営百人町4丁目アパートとなりました。(資料1 区計画係への提案書
 

・団地自治会、近隣町会の態度

 区への提案を、団地自治会でも検討してもらうよう会長にお願いしました。団地会の会議で話した結果は、そうなればよいねという意見が大半だったよと会長より返事をもらいましたが、ではその後団地会が区の方に、多くの団地住人が望んでいるので緑道の話をぜひ検討して欲しいと申し入れたかというと、そうではないようです。
 区担当者が、車両通行を止めることに警視庁がうるさいのでできないとか、近隣町内会も車を通して欲しいと決定したとかと会長に伝えたようなこともあったらしく、団地自治会は波風立てたくない、よけいな問題を背負いたくないということになり、あえて近隣町内会決定に反対はしませんと答えたようです。この道に一番関わる団地会が、主体性のない態度にでるとは!
 近隣町内会での役員会決定も、緑道にという選択肢の提示されないまま、会長のこれでいいだろうという一声で決定された感じだったという話が伝わってきました。特に反対がなかったのは、道路は車が通るところという概念を誰も疑わないからでしょう。
 この区道の北側入口角にある西戸山幼稚園長さんにお会いしたところ、園児にとっては車が通らず、自然に触れられる場所がひろがるのは喜ばしいことですというお話をしてくださいました。
 

・区計画係と春日との直接の話し合い
 
 区の担当者から直接話がしたいというので了解をし、4月8日団地集会室で、戸山団地自治会長、副会長立ち会いのもと、区計画係の3人と話し合いをしました。
 区担当者は、相変わらず車利用者がいる限り、また他の町会が車道をいかすよう決定したのでということだけで、どんな人たちがどう利用してるとか、10年前に団地敷地に組み込まれ廃道になるはずだったときと今とどう違うのか具体的な説明がなく、どうしても車が通さなければならない理由としては納得できませんでした。


・4月22日 区長への質問書

 話し合いの後、問題点を明確にしたいと思い質問状を出すので文書での回答をとお願いしたところ、区長にして欲しいというので、区長宛に送付しました。(資料2 区長への質問状
 

・5月21日 区長からの回答あり

 2週間くらいで回答をと区のホームページにあるのに、ほぼ1ヶ月かかって回答が送られてきました。
 (資料3 新宿区長の回答書


・回答に対して、区担当者に確認をしました

 都合の悪い部分は避けて通るだろうし、考え方が違うということですまそうともするだろうし、とにかく非を認めないためにいろいろ言を労するのは当たり前と思わなければしょうがないでしょう。だから質問状を送ってもそう期待はできないのだと、また改めて認識しました。
 そこで、お願いと明らかなまちがいだけを、区の担当者に電話で伝えました。
 「意見交換の場を拒否したことがないし、区の職員が同席することも吝かでない」というので、私たちで住民に呼びかけ集会を開きたいと考えてますが、職員の方の同席をお願いできますかとお話ししました。それに対し、集会を開いた後どうするのかとか、同じような考えの人だけが集まってもとかと言うので、とにかく多くの人に知らせる、意見交換をすることを大事にしたいのです、結果を予測してやるわけではありません。そのことによって地域を見直すきっかけになったり、人の広がりもでて、地域の活性化にもつながりませんか、それが大事でしょうといったのですが、同席するとの確約はしてもらえませんでした。あげくは、車を止めてもデメリットがない団地の住民だけの集会は意味がないので、車通行を行う近隣町会の意見をこそ聴くべきだということでした。道は利用するだけでなく、もともとは人が歩き人が交わるためのものだったはずです。
 区が考えてる「実りある集会にする道筋」も未定とのことでした。
 それと明らかなまちがいですので、確認をお願いしました。この道路が住宅建設用地の一部になっていた当時の考え方は「中低層都営住宅建設」ではなく、高層案も含まれていたのです。住宅局の文書を参照すれば明らかです。この路線の存続は、都の都営住宅のあり方の変更と財政が影響してると推察してますが、その事情を記した文書の開示を求めてもないということだったのではっきりしたことは分かりません。そのころの基本計画書をみれば、広域避難場所としても、歩行者通路のネットワーク化とオープンスペースをと綿密に考えて計画されてたことも分かります。震災時に非難活動のための車が通ることがどこでも必要というわけではないし、阪神大震災でも樹木の多い鎮守の森のようなスペースが災害を食い止めたり、避難場所としての役割を果たしたと聞きます。緊急車両が通るためにということは、その他の車も通るということです。
 また私の認識が区等と乖離があるとあります。しかし具体的な指摘がありません。もし計画係の方で交渉記録のようなものがありましたら、その開示をお願いできますかと聞きましたが、町内会長と会えば分かるといって開示についての返事をもらえませんでした。私は何人かから各町内会での決定の過程などを聞いていて、さらにこれまで経験から推察したことも加味して質問状に書いたことですから、そうまちがってるとは思ってませんが。
 
 
 



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